説明.
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作者 |
島田 英承未だ、解説がありません |
解 説 |
本作は、30年程前に刀子会(事務局 宗正刃物)のために、島田英承がブレードを担当した刀子小刀であり、現在、宗正刃物の所蔵品となっております。 そのブレードのみの所蔵刀子小刀が3本あり、そのうち1本は藤グループが深海松(ゴールドサンゴ)を使用し仕上げました。 深海松の小枝は、美しく、見る者を魅了しますが、衝撃や圧迫に弱く、ハードな使用には耐えません。 筆者は、マイ箸とセットにして、ディナーウェアとして、ステーキを細かく切ったりして愛用しています。 シースは、鮫皮にエイ(スティングレイ)にうるしで、仕上げました。 【刀子について】 正倉院の御物。奈良・平安の頃、大宮人が身分の象徴とでもあるかのように、ぜいを尽くし着飾った小刀。 刀子の歴史は古く、古代にまでさかのぼる。 最近になって、青森県三内丸山遺跡より野だたらが発掘された。2000年前、すなわち縄文以前に刀子が造られた可能性があり、大陸(中国)からの伝承物であったという説から北方民族による伝承又は古代日本人の倭鍛地(やまとかぬち)によるものという説が生まれている。 いずれにしても刀子が発展し成熟し、開花したのは、奈良・平安期に於いて間違いないということである。 天智天皇の時代には、恥羅(とら)の国の使節に刀子を61本持たせたとあり、又、平安初期弘仁6年、親王、内親王、女御、三位以上の嫡妻子には蘚芳色象牙の刀子帯刀が許されたことにある。 更に、光明皇后の母、橘三千代夫人の帯刀していた刀子が正倉院の御物の中に含まれているところから、当時、貴婦人達にも相当人気があったものと思われる。 正倉院には、当初、12本の刀子が献納されたのが始まりとあるが、現在は百数十本保存されている。 最も多く入っているものは、10号刀子といい、10本入っている。刀子6本の他、加奈(かんな)、木錯(やすり)、錐(きり)などが入っていて、まるで細工師の道具箱のようだ。 拵(こしらえ)については、柄、鞘同様にサイ角、象牙、沈香木、紫檀、黒檀、黒柿などを使用し、中には玉石と配し、装飾よろしくぜいを尽くしたものが多くある。 今日、現存するものは、正倉院に保存されている刀子のみであり、ほとんどが奈良時代から平安時代初期にかけてのもの。平安後期、鎌倉時代以降、今日まで不思議なことに忽然と姿を消し、加えて、刀子という名称さえも無くなっている。 今回紹介する深海松柄刀子は、正倉院に保存されている御物刀子の創作写しである。 |