玉鋼の日本剃刀…。
刀匠・岩崎重義翁が体調を崩されてから久しい。岩崎製作所の玉鋼日本剃刀も既に市場から姿を消している。
岩崎翁と筆者の出会いは45年ほど前に遡る。冶金学や鍛造の仕組み、火造り、焼き入れなど(表面を舐める程度だが)を、教わった。そして、たまの夜は、赤い火、青い火のネオンの輝く酒場に繰り出したものだ。
公、私ともに大変お世話になった。
ところで、名工・千代鶴是秀の日本剃刀が1本筆者の手元にある。重義翁の父である岩崎航介に是秀から贈呈されたものだが、数十年前、筆者の希望でお譲り頂いたものだ。
この気品漂う是秀の日本剃刀。眺めているうちに、ある形が脳裏に浮かんだ。
数種類のフォルム(写真)を具現したいと思っていた。
2年ほど前、岩崎翁のお見舞いのため岩崎製作所を訪れた。
お迎えしてくださったのは、水落良一鍛冶。水落氏は、お会いすると思わず頭(こうべ)を垂れてしまうほどのオーラを放出している不思議な方だ。岩崎製作所発足当時の岩崎重義翁の兄弟子に当たる。
冶金学に造詣が深く、鍛冶の腕前も一流、人柄も良く、高潔な方だ。現役鍛冶の中で筆者がいちばん尊敬している鍛冶職人でもある。
今は、おひとりで岩崎製作所をお守りし、日本剃刀一筋、孤軍奮闘、黙々と日本剃刀を作り続けている。
そんな鍛冶の達人、水落氏と談笑していた時、ふと、「何か打ってみますか?」とさりげなく問われた。
筆者は一瞬耳を疑ったが、即座に「玉鋼の日本剃刀」と、口から勝手に言葉が飛び出してしまった。
「玉鋼ですか、玉鋼は難しいねぇ」と云うが、顔はニヤついている。「まあ、何かやりましょう」と、すたすたと工場に入って行ってしまった。
「玉鋼の剃刀は今は作っていないからねぇ」と云いながら、玉鋼の鍛錬材を探し始めた。
「作り手は、あなただから」と、まず、水落氏が手本を示してくれる。見よう見まねをするがダメ出しの連発。しかし、機械ハンマー打ちだけは、少し褒めてもらった。作業工程は、ざっと数えただけでも30工程は超えるだろう。岩崎製作所の歴史が作り上げた独特の工程がひしめいているのだ。
筆者は必至で時間を作り、三条の岩崎製作所に通った。焼き入れ前の状態で持ち帰り、3本の玉鋼の日本剃刀の柄部を、毎日、少しずつ舐めるようにヤスリ掛けし、それぞれの形を整えた。
間もなくして、再び訪問。焼き入れ、焼き戻し、グラインダー仕上げ。この辺りから神経をかなり集中する時間帯が多くなる。焼き入れ等はその最たるもので、瞬間勝負だ。
その後も、神経を削る作業が続く。岩崎製作所特注の良質な合成砥石や、京都マルカ正本山砥石仕で、独特な研ぎ上げなどの工程を踏み、生まれたのが本作。
高安寺の春と、高安寺の夏、そして高安寺の秋、(岩崎製作所の住所が高安寺)それぞれの季節に岩崎製作所の想い出があり、そして、岩崎重義翁の回復を祈って打ち上げられた作品でもある。
もちろん、筆者は鍛造のプロではない。ましてや、鍛冶の中でも最も難しいと云われている日本剃刀の製作。全ての工程において、肝心の所や急所、難しい所は全て、講師、水落鍛冶の手が入っている。
特に、最終仕上げの刃付けは、難度がかなり高い。親指と人差し指で垂直に立てた髪の毛に、刃先が触れただけで切れてしまう、神業に脱帽。水落氏をおいて他に右に出る者はないと思った。
世の中は、「めくら千人、めあき千人だからねぇ」と、呟く….。
水落良一鍛冶に感謝。
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