説明.
大白川マタギに伝わる木鞘拵狩猟刀! |
秋友 義彦(あきとも よしひこ)作 |
小刀 大白川 鮫飾木鞘小刀 6寸 |
|
作者 |
秋友 義彦昭和19年(1944年)生まれ。 土佐在住。中学を卒業と同時に二代目義光に師事。 昭和39年三代目を襲名独立。四国の刀匠を訪ね歩き甲伏の秘伝を修得。 土佐鍛造界の重鎮の一人だが、平成30年の5月から納期は未定となっている。 |
解 説 |
数百年にわたり、独特の狩猟文化を築きあげてきたマタギ。現在でも下北の畑、津軽、秋田の阿仁と東北地方を中心に点在し、その古風な狩猟形態は、伝統文化として伝承され生き続けている。そういったマタギ集落の中で、意外と知られていないのが、新潟県は北魚沼群の大白川だ。大白川は魚沼兵陵の中程に位置し、すぐ背後には険阻な山並を連ねる越後山脈を控えている。深山幽谷の地として昔から熊や羚が豊富に生息し、大白川周辺広域にわたりいくつもの倉(猟場)を有していた。それにいち早く目を付けたのが秋田の旅マタギだ。 「北越雪譜」によれば、「雪の降り止む早春になると、出庭方面の猟師(阿仁の旅マタギ)が5-7人仲間を組み、3-4頭の猛犬を連れ、米、塩、鍋を携え、山越えをして越後の山まで熊狩にやってきたという。頭の先から足の先まで獣の皮で作った防寒具を着込み、手槍、山鉈、鉄砲で穴に籠った熊を捕る…。」そんな背景を裏付ける聞き取りを得たので一部をご紹介。大白川の現役古老マタギ、浅井保丸さん(80歳)、浅井義介さん(74歳)によれば、いずれも、代々、マタギの家系であり、尋常小学校卒業と同時に父に連れられ山に入ったという。「山に行くのが好きで好きでたまんねがった。一日に十里やそこら、やまんなか走り回っても平気なんさぁー。オレ達、山に育てられたんだょう。」と目を輝かす。 熊狩りについては、「熊さ追っかけているときは、頭ん中真っ白になるさぁ。熊のことしか考えてねッ。熊は、熊になんねば捕れねッ。熊とおんなじ 気持ちになれば、熊がどっちさ逃げたか、分かるようになるんさぁー。」と屈託なく笑う。そして、自分たちの先祖は秋田の阿仁から来た旅マタギであり、狩の流儀作法は猿丸流だと秘伝の巻物を広げる。 では、狩猟刀の拝見を所望すると、なんと、三人とも同じような木鞘拵の小刀を見せ、この地では冬は熊やかもしか、兎、山鳥を狩り、夏は川で岩魚やウグイを追う。ケボカイ(獣の解体)や、魚のサバキ、手元作業にこの上なく重宝。その上、携帯にも安全と、誇らしげに目を細める。この使いやすさを極めた木鞘拵の小刀、様々、マタギ集落を取材してきたが、大白川のように皆が皆、同じような木鞘拵の小刀を所持している所は珍しい。 所説を残すが、阿仁”旅マタギ”の狩猟伝承文化が、地元の狩人に伝わり、融合。さらにより使いやすい性能を求め、大白川独自の狩猟文化として花開いたと考察した。 この大白川に伝わる剛毅朴訥なる木鞘小刀は、宗正企画により洋風にアレンジ。《秋友良彦作 大白川鮫飾木鞘小刀》と名付けられ土佐鍛冶の鬼才、秋友良彦の手により打ち上げられた。刀身は安来鋼青紙二号を、極柔鋼に本割込した剛毅な造り。繊細な中にも力強さを感じさせる本作は、数百年にわたり磨き上げ鍛えられた、「比類なき万能小刀」と呼ぶに相応しい。 |
特記事項 |
|