説明.
大白川マタギに受け継がれし小刀が、 二代本成寺の手で甦る! |
二代 本成寺 カスタム「大白川」小刀6寸・ 両刃 コラボ |
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作者 |
二代目 本成寺昭和42年(1967年)生まれ。 二代目本成寺(三条守弘) 昭和42年生まれ。 少年の頃より鉄と遊び愛着をもつ。 昭和59年本成寺修司に師事。 平成6年独立、三条守弘を名乗る。 平成17年、二代目本成寺を襲名。 |
解 説 |
数百年にわたり、独特の狩猟文化を築きあげてきたマタギ。現在でも下北の畑(はた)、津軽、秋田の阿仁(あに)と東北地方を中心に点在し、その古風な狩猟形態は、伝統文化として伝承され生き続けている。 そういったマタギ集落の中で、意外と知られていないのが、新潟県は北魚沼群の大白川(おおしらかわ)だ。 大白川は、魚沼兵陵の中程に位置し、すぐ背後には険阻な山並を連ねる越後山脈を控えている。深山幽谷の地として昔から熊や羚(かもしか)が豊富に生息し、大白川周辺広域にわたりいくつもの倉(猟場)を有していた。それにいち早く目を付けたのが秋田の旅マタギだ。 「北越雪譜」によれば、「雪の降り止む早春になると、出羽方面の猟師(阿仁の旅マタギ)が5-7人仲間を組み、3-4頭の猛犬を連れ、米、塩、鍋を携え、山越えをして越後の山まで熊狩にやってきたという。「頭の先から足の先まで獣の皮で作った防寒具を着込み、手槍、山鉈、鉄砲で穴に籠った熊を捕る…。」 そんな背景を裏付ける、聞き取りを得たので一部をご紹介。 大白川の現役古老マタギ、浅井保丸さん(80歳)、浅井義介さん(74歳)によれば、いずれも、代々、マタギの家系であり、尋常小学校卒業と同時に父に連れられ山に入ったという。「山に行くのが好きで好きでたまんねがった。一日に十里やそこら、山んなか走り回っても平気なんさぁー。オレ達、山に育てられたんだょう。」と目を輝かす。熊狩りについては、「熊さ追っかけているときは、頭ん中、真っ白になるさぁ。熊のことしか考えてねッ。熊は、熊になんねば捕れねッ。熊とおんなじ 気持ちになれば、熊がどっちさ逃げたか、分かるようになるんさぁー。」と屈託なく笑う。 そして、自分たちの先祖は秋田の阿仁から来た旅マタギであり、狩の流儀作法は猿丸流だと秘伝の巻物を広げる。 では、狩猟刀の拝見をと、所望すると、なんと、三人とも同じような木鞘拵の小刀を見せ、この地では冬は熊やかもしか、兎、山鳥を狩り、夏は川で岩魚やウグイを追う。ケボカイ(獣の解体)や、魚のサバキ、手元作業にこの上なく重宝。その上、携帯にも安全と、誇らしげに目を細める。 この使いやすさを極めた木鞘拵の小刀、様々、マタギ集落を取材してきたが、大白川のように皆が皆、同じような木鞘拵の小刀を所持している所は珍しい。所説を残すが、阿仁”旅マタギ”の狩猟伝承文化が、地元の狩人に伝わり、融合。さらにより使いやすい性能を求め、大白川独自の狩猟文化として花開いたと考察した。 この大白川に伝わる剛毅朴訥なる木鞘小刀は、宗正企画により洋風にアレンジ。《二代本成寺作 「大白川」小刀6寸》と名付けられ、三条の鍛造の達人、二代本成寺の手により打ち上げられた。 刀身は安来鋼青紙二号に、極柔鋼を三昧打ちした剛毅な造り。 特筆すべきは、厳選された極上の鉄刀木(てっとうぼく)のハンドルだ。丹念に手加工がくわえられ柄尻(つかじり)まで一体構造のフルタング方式。黄金(こがね)色に輝やく、黄銅(おうどう)ヒルトと、上質の牛皮手縫シースは、有名なカスタムナイフメーカーが担当した、カスタムメイド。 折れたり抜けたりすることなく、強靭この上ない。 まさに、繊細な中にも力強さを感じさせる本作は、数百年にわたり磨き上げられ、鍛えあげられた、「比類なき万能小刀」と呼ぶに相応しい。 |