説明.
遥か西表に見た山刀の原点! |
池村 泰欣()作 |
池村泰欣作 八重山ヤマンガラス9寸・両刃 |
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作者 |
池村 泰欣昭和23年(1948年)生まれ。 流れ鍛冶であった初代と二代目により培われた技倆は三代目泰欣で開花。現在八重山の誂え鍛冶として絶大の信頼を集めている。 |
解 説 |
なんと美しい。嘗てこれ程美しい大海原を見たことがあっただろうか。八重山の海はどこまでも碧い。抜けるような天空の青が、海原を映し、あたかも、紺青の透明な鮮やかさを飲み込んでいるようだ。幻の山刀を求めて、以前から何か有ると睨んでいた八重山諸島。東京から空を飛んで約3時間。石垣空港に降り立つ。後は、八重山フェリーを駆使し、黒島、竹富島、西表島、与那国島と駆け回る。 まずは、黒島からご紹介。30分もママチャリをぶっ漕げば、反対側の海に飛び込んでしまう程の小さな島。鍛冶場らしき跡は2〜3あったが、どこを走っても黒牛だらけ。勝手に黒牛島と名付けて早早に退散。次の竹富島は、些か趣を異にする。ブーゲンビリアと、ハイビスカスが咲き乱れ、昔の沖縄を想わせる家並みはロマンチック。どこを走っても、若い娘がぎょうさんで圧倒される。この島は、娘富島と命名してやろうかと。ペダルを漕いでいるうちに喜宝院蒐集館にぶつかる。なんと、そこでは幻の山刀ヤマンガラス一振りと体面できた。幸先良し。次に目差すは西表山猫で有名な西表島だ。 マング ローブが生い茂り、異国情緒たっぷりのこの島は、90%を熱帯、亜熱帯の植物で覆われ、その殆どが前人未踏の秘境と云う。朝鮮漂流民の西表見聞記によれば、15世紀頃、「山に豕あり、島民槍を持ち、狗をひきいて之を捕う。」とある。その狩猟習貫は今、尚継承され、犬を“セコ”とした巻狩が行なわれている。狩猟刃物は、袋状(筒)の共柄。俸を挿し込めば、“槍”にもなる小型の狩猟刀と山刀ヤマンガラスだ。そして、残るは与那国島。石垣島より高速艇で4時間。そこに漂よう空気は、まさに異国。日本最西端の島である。レンタカーで縦横無尽にカッ飛び回り、漸く巡り合えた一振りは、与那国島民俗資料館にあった。いずれの島も、生活道具としての鉄の歴史は、たたら製鉄の形跡無く、小鍛冶の鍛冶跡が各村に点在している。八重山由来記によれば、15世紀、「鹿児島の坊津から貴重な和鉄と鞴が伝来。鍛冶屋(カンジャーヤ)は、「公事の労働から免除され、生活用具や農具などを生産」と、鍛冶は特別扱いされている。当時、大変高価であった和鉄の道具。島民の誰もが、その恩恵に浴したとは思えない。そのことを裏付けるかのように、各島の民俗資料館には、シャコ貝の斧や、猪の牙、サメの歯のナイフ、石斧などの生活用具が所狭しと並べられ、鉄製の道具は極端に少ない。やはり、八重山諸島は、ルソンから北上する黒潮が運んだ無土器文化、黒潮文化の影響が色濃く残る島々なのだ。その島々に根付いた幻の山刀、《ヤマンガラス》に工夫を加え復刻したのは、八重山鍛冶三代目、池村泰欣である。各地で修業を重ねる流れ鍛冶であった初代と二代目により培かわれたノウハウは凝縮され、三代目、泰欣で見事に開花。現在、「たのまれたものは何でも造る」、八重山の誂え鍛冶として絶大の信頼を集めている。刀身は、米軍ジープの“板バネ”。既に有る物を利用する、黒潮文化の生活の知恵は、八重山諸島に溶け込み、池村鍛冶も、刃物道具の素材として軍用車の板バネや砲弾を利用してきた。板バネの性格や扱いに精通してくると、本土からの安来鋼より切れ味が良く、「島民からの評判も高い」と、池村は云う。火造り鍛冶の扱いによっては、かなりなものになるらしい。ハンドルは、粘りのある石垣松をバーナで焦がし防腐処理。さらに、口金も、丹念に自から板を曲げた火造り鍛造。 鍛冶場は、必要最低限の設備しか無く、自からの腕だけが頼り。昔ながらの“村の鍛冶場”を彷彿とさせる。そこから生まれる池村泰欣作《ヤマンガラス》は、使っては磨き、研いでは使う実用本位。数百にわたり鍛えられ磨きあげられた《ヤマンガラス》。求むれば、本物の道具の有能さに驚嘆の声をあげるだろう。 |