説明.
雄渾にして清冽な大業物、玉杢目肌乱紋丹 尺寸! |
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作者 |
秋友 義彦昭和19年(1944年)生まれ。 土佐在住。中学を卒業と同時に二代目義光に師事。 昭和39年三代目を襲名独立。四国の刀匠を訪ね歩き甲伏の秘伝を修得。 土佐鍛造界の重鎮の一人だが、平成30年の5月から納期は未定となっている。 |
解 説 |
岩手県は沢内村(さわうちむら)の碧祥寺(へきしょうじ)博物館に眠る、東北マタギの山刀(やまがたな)を取材し誕生した<玉杢目肌乱紋丹鰐鞘拵又鬼(たまもくめはだみだれもんたんわにさやこしらえまたぎ)尺寸。 本作は、水面(みなも)に墨を流したような墨流し模様の美しい“玉杢目肌(たまもくめはだ)”(高級ダマスカス)の地金(じがね)に日立安来鋼白紙2号(White #2)を割り込み、手打ち鍛接した乱紋丹(みだれもんたん)。 “乱紋丹”は、日本刀のような互(ぐ)の目(め)模様を現わす刃紋。その技は、高難度にして打てる鍛造師は、四国三郎と秋友義彦の二人だったが、今では四国三郎も引退し、秋友義彦の独壇場だ。 柄は、樫の古木柄に麻糸を丹念に重ね巻きし、さらに特殊樹脂を塗布。 特筆すべきは、入手困難な本鰐皮(ほんわにかわ)を贅沢にも六山貼った黒石目(くろいしめ)の木鞘。 鰐は、平安の昔から”和邇(わに)”と称され、古事記の「因幡(いなば)の白ウサギ」の中に、白ウサギが淤岐島(おきのしま)から稲羽(いなば)まで海を渡ろうと和邇(鰐)を並べて渡った話が残っている。 その他、平安の「和名抄(わみょうしょう)」には、和邇は鰐の事であり、スッポンに似て四足あり、口バシは3尺。はなはだ歯が鋭いとある。 とは云え、鰐の生息域は熱帯から亜熱帯。恐らく、古代日本の東北地方が湿暖だったとしても、鰐の話は、東南アジアから黒潮に乗り、黒潮文化として日本に流れついた説話の可能性が大と考察する。 古来より鰐は、魔性の動物として強大無敵の象徴。その皮革(ひかく)は、内に堅固な骨を秘め、その堅牢(けんろう)強靱(きょうじん)さから、武将の盾や甲冑に貼られ重宝されてきた。 それ故、古代エジプトでは豊穣、インドでは神聖、日本では船の守護神「金毘羅権現(こんぴらごんげん)」(サンスクリット語で鰐)となり、さらに、アマゾン流域では、鰐のペニスが幸運を呼ぶと伝えられている。 そんな強い運気の上がる鰐皮を装備した「玉杢目肌乱紋丹鰐鞘拵又鬼尺寸」。雄渾にして清冽。凄まじいまでの迫力を放射し、その刀姿の底からは、目の肥えた男だけが見分ける事の出来る気品と風格が匂い立つ。 |
特記事項 |
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